南三陸町 [雑感]
ささやかではありますが、自分たちができることを少しづつやってきました。
今日も1ミリの足しになるかどうかわかりませんが、南三陸町にお邪魔しました。
仙台から三陸道で登米東和ICまで走ります。
登米の付近は、内陸部で田植えも終わって、稲が一面に植わっています。
のどかな風景が続きます。
登米東和ICを下りて、国道398号線で一本道で16km余り、
峠を越えて下っていくと、津波が及んだ境目から、風景は一変します。
最後まで津波の避難を叫び続けて、多くの職員が留まってなくなられた防災庁舎です。
町は、瓦礫を寄せ集めただけで、ようやく搬出が始まったばかりで、何もありません。
上水道が未だに海水が混ざって、飲めない状態です。
海辺近くの公園に保存してあったC58が流されて横倒しになっています。
右奥が志津川病院で4F以上にいた方は助かったそうです。
復興どころか、復旧も手がついていないです。
避難所で皆さんが、なくなられた方に対して、
「もっと強引に避難をと言えばよかった。」、
「連絡さえついていたら・・・」、
自分たちが生き残ったことに対して、自責の念にさいなまれたそうです。
天皇皇后両陛下が避難所を訪問されたときに、
「生きていてくれて、ありがとう。」とおっしゃったそうです。
この場にいた方は、みんなで涙して、「生きていて良かったんだ。」と思い、
気持ちが切り替わる転換点になったそうです。
お話して下さった方は、このような状況でも風化させまいと、
今、自分にできることとして、語部の活動しておられます。
それにしても政治の状況は、まったく被災地とかけ離れています。
今日も1ミリの足しになるかどうかわかりませんが、南三陸町にお邪魔しました。
仙台から三陸道で登米東和ICまで走ります。
登米の付近は、内陸部で田植えも終わって、稲が一面に植わっています。
のどかな風景が続きます。
登米東和ICを下りて、国道398号線で一本道で16km余り、
峠を越えて下っていくと、津波が及んだ境目から、風景は一変します。
最後まで津波の避難を叫び続けて、多くの職員が留まってなくなられた防災庁舎です。
町は、瓦礫を寄せ集めただけで、ようやく搬出が始まったばかりで、何もありません。
上水道が未だに海水が混ざって、飲めない状態です。
海辺近くの公園に保存してあったC58が流されて横倒しになっています。
右奥が志津川病院で4F以上にいた方は助かったそうです。
復興どころか、復旧も手がついていないです。
避難所で皆さんが、なくなられた方に対して、
「もっと強引に避難をと言えばよかった。」、
「連絡さえついていたら・・・」、
自分たちが生き残ったことに対して、自責の念にさいなまれたそうです。
天皇皇后両陛下が避難所を訪問されたときに、
「生きていてくれて、ありがとう。」とおっしゃったそうです。
この場にいた方は、みんなで涙して、「生きていて良かったんだ。」と思い、
気持ちが切り替わる転換点になったそうです。
お話して下さった方は、このような状況でも風化させまいと、
今、自分にできることとして、語部の活動しておられます。
それにしても政治の状況は、まったく被災地とかけ離れています。
タグ:南三陸町
2011-07-07 23:50
nice!(0)
コメント(2)
トラックバック(0)
lucky_k.k さん、こんばんは。
南三陸町...も酷いありさまですね。
重い機関車が展示台からかなり押し流され横たわり、
水没の建物は外壁の跡形も無く広範囲でこのような惨状自然の力を思い知らされますね。
改めて被災者の方々に黙祷と復興へのお見舞いを・・・
by Tago-Lily (2011-07-09 00:49)
Tago-Lilyさん、おはようございます。
現地では、本当に言葉に詰まります。
現実を前に、自分の言葉の薄っぺらさ、意味の無さ、軽薄さを思い知らされます。
それでも人は、強くて不屈であると教えられ、日常の些細なことに心揺らぐ、ばかばかしさを思います。
by lucky_k.k (2011-07-09 09:30)